Fortes fortuna adjuvat

運命の女神は 心強きひとに微笑み 心挫けたひとに手を差し伸べる

易と天神信仰の密かな関係

f:id:Ichimonji-Murasame:20211222234014j:plain

今朝テレビを聞き流していたら、菅原道真公の話題が耳に入ってきました。確か、NHKの歴史番組だったような気がします。

菅原道真公と言えば、時の朝廷から祟り神として恐れられ、京都の北野に神様として祀られたのはご存知の通り。

その北野天満宮は当時の朝廷の北西に位置し──と聞こえてきて、ああなるほどと思いました。

易や九星気学でおなじみの八卦では「乾」の象意として、西北、天、父親、威厳などが挙げられます。乾(いぬい)の方角という言い回しはこの八卦から来ていますし、十二支の戌と亥が示す方角でもあるので、いぬいという読みが当てられたのでしょう。

さて、そもそも菅原道真公が北野に祀られる以前から、この場所は朝廷にとって重要な場所で、天神地祇を祀る地主社を奉斎していたといいます。詳細は北野天満宮HP

清涼殿落雷事件以後、道真公の怨霊は雷と結び付けられ、朝廷は火雷神が祀られていた北野神社に道真公を祀ります。その後神格化が進み、最終的には太政大臣が贈られ、御霊から天神様へと信仰が変容していったのです。

この変化が今まで腑に落ちなかったんですよね。雷様から天神様、そして学問の神様という変化が。

ただ、朝廷との地理的な位置関係からようやく納得できました。

北野という場所の特性が天神信仰を増強していったと言えるでしょう。

つまり、朝廷の「西北」の要所に公式に祀られ太政大臣まで贈られた事で、「天」や「威厳」といった「乾」の持つ象意が相乗しながら強めあい、道真公の持つ「父性」とも完全にリンクしたことで説得力が増大し、民衆から信仰を集めるに至ったと考えられるのです。ここに及んで、菅原道真公の人としての足跡や業績が評価され、学問の神様へと信仰が移っていったのでしょう。

占術も学問ですから、私も道真公にあやかりたいものです。

▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 

「LINEトーク占い」でチャット鑑定を承っています。

 

リンク先から友達登録して、ご依頼ください。

 ↓

f:id:Ichimonji-Murasame:20211201193934p:plain